「一休さん」
  平成19年1月23日〜1月25日

 皆さんご存知でありますが、テレビアニメでおなじみの「一休さん」は、室町時代に実在した「一休宗純」という禅の名僧がモデルとなっています。一休和尚は、南北朝抗争が終わって足利幕府成立、その南北統一時の天皇である後小松天皇の落胤とされ、母が身ごもった際、皇位継承争いに巻き込まれ、母が南朝方に通じているとあらぬ疑いをかけられて追放された時に誕生、子の身の安全を守るために母は幼少期の一休和尚を仏門に入らせたと言われています。
 一休和尚は時に禅僧として妙を得たる行動を起こすことでも有名でありました。
 青年期に謙翁宗為師に参禅、師が亡くなった時に悲観して、あの世で教えを請うと自殺未遂をしたことがあります。
 次の師となった華叟宗曇師に参禅する中、「洞山三頓の棒」という禅問答(公案)に対して、「有漏路より 無漏路へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答え、華叟宗曇師が「一休」の道号を授けました。ここに「一休」の由来があるわけであります。有漏路とは、煩悩・苦・迷いの世界のこと、無漏路とは、仏・涅槃・悟りの世界のことであります。
 ある夜、カラスの鳴き声を聞いて、一休和尚はついに悟りを得ます。その時、華叟宗曇師が印可状を与えようとしましたが、強く拒否して受け取りませんでした。更には、大徳寺7世の追悼法要にボロ布をまとって参列するなど、この頃から外見や見栄、権威・権力を批判する姿勢を強くし始めています。
 とある富豪の家で盛大な法要・食事供養が営まれる席に一休和尚は導師・主賓として招かれた際、日頃から一休和尚は、その富豪のことを煩悩に毒されて贅沢三昧している者として快く思っていなかったため、その富豪の家にワザと普通の袈裟を着て誰よりも早く行きました。すると富豪の侍従が門前でその姿を見て、乞食(托鉢)坊主と勘違いして、追い返してしまいました。一休和尚の到着が遅いと富豪は迎えを出すと、今度は金襴の袈裟に緋の衣を着た一休和尚がやって来ました。ところがなかなか家へと上がろうとはせずに、富豪が急かすと、一休和尚は、「私は普通の袈裟を着て、ここに一番に来たが、汚い物乞い坊主と言われて追い返された。私が家に迎えられたのは、この袈裟と衣を着ているからだろう。ならば私は上る必要はない。ありがたがっているこの袈裟と衣に法要をしてもらい、ご馳走をさせればよいだろう」と言って、金襴の袈裟と緋の衣を置いて帰ってしまいました。
 このことは、煩悩・執着に毒されて、外見や見栄、権威・権力などをありがたがっている富豪に対して、痛烈な批判を行い、反省を促した智慧の行動と言えるでしょう。この世における虚実を見極めるのは、誠に至難なことであります。
 華叟宗曇師が亡くなった後、一休和尚は10年ほど諸国を行脚し、再び大徳寺に戻るとまだ印可状が保管されていたことを知り、今度はそれを焼き捨ててしまいました。それから更に10年後、大徳寺内の派閥争いで僧侶数人が投獄、自殺者まで出たことに胸を痛め、堕落した宗門に失望、断食に入って死のうと二度目の自殺未遂をしますが、この時は天皇の説得を受けて思い留まりました。
 また、浄土真宗中興の祖、本願寺門主蓮如師とも親交が深く、ある時蓮如師留守中に居室に上がりこみ、蓮如師持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をしたことがあると言われています。
 応仁の乱発生後、戦火を逃れる途中で出会った盲目の旅芸人・森侍者と50の歳の差を越えて恋愛関係となり、それから一休和尚が亡くなるまでの10年間ほど二人は仲良く連れ添って酬恩庵で住むことになりました。
 80歳の時、戦火に焼かれた大徳寺再建のために後土御門天皇の勅命で大徳寺住持に任ぜられましたが、大徳寺には一切住まず再建に尽力。資金を集めるために豪商が集まる堺へと出向くと、一休和尚の人気は絶大で、豪商たちは我先にと寄進したと言われています。
 ある正月には、杖の頭にドクロをしつらえ「ご用心、ご用心」と叫びながら歩き回り、「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という詩を詠んだり、朱塗りの鞘に入った偽物の木刀を持って、町を練り歩き、その訳を尋ねる人たちに、「近頃の偉い坊主はこれと同じだ。派手な袈裟を着て外見はやたらと立派だが、中身はこの通り、何の役にもたたぬ木刀と同じ。飾っておくしか使い道はない」と、堕落している宗門を批判したと言われています。
 そんな禅僧として妙を得た生き方を終える直前に発した言葉は、悟りを開いた者として到底信じられない「死にとうない」だったという。また、死ぬ直前に弟子たちに「この先大変な事態が起きたら読みなさい」と残した手紙、その後、本当に大変な事態が起きたため弟子たちがこの時こそ一休和尚の智慧が必要だと、みんなが内容を期待して手紙を開けると、なんとそこには「大丈夫。心配するな、何とかなる」と書いてあったという。
 戒律・形式・外見・見栄・権威・権力に一切とらわれず、自由奔放に、どこまでも人間臭く民衆と共に生き、漢詩・書画にも優れた才能を発揮した一休宗純和尚・・「一休さん」として現在でも愛されるゆえんでもあります。


川口 英俊




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