施本 「仏教・空の理解から学ぶ」

岩瀧山 往生院六萬寺

Road of Buddhism


著者 川口 英俊

ホームページ公開日 平成20年12月15日   執筆完了日 平成20年12月8日

施本発行 平成20年12月28日



 三、般若思想の理解

補足 「即非の論理」について


 般若思想とは、空(実体の否定)・般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)(最高の智慧の完成)を中心に説く教えであり、般若経典は数多く著されています。代表的な般若教典の集大成としましては、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)法師が翻訳・編纂した「大般若経」があります。

 また、皆さんになじみ深いのは、何と言っても「般若心経」でありましょう。般若心経につきましては、次章にて詳しく扱いますので、この章では、大まかな般若思想について、私なりにまとめてみたいと存じます。

 般若教典群は、大乗仏教運動が起こったのと同時に形成され始めました。ここで大乗仏教運動が起こる以前のことについて簡単に触れておきます。

 お釈迦様入滅後、仏教の大切な教えの多くは、仏弟子たちの暗記・口伝において継承されていきました。もちろんそれは、お釈迦様が教えを文章化することを禁止されていたからでもあります。つまり、
仏教の真理は、言説・戯論を超えた「言語道断」のところであるため、当然に言葉・文字に表してのとらわれ執着することからも離れなければならないからであったと考えられます。

 しかし、暗記・口伝において次第に教えの解釈が、曖昧化していく傾向が出始めたため、何度か教えを統一させるために弟子たちが一同に集まって仏典結集(ぶってんけつじゅう)が行われ、また、曖昧化を避けるべく文章化されていくことにもなりました。

 しかしながら、お釈迦様が入滅されてから百年〜二百年経った頃に、何度かの仏典結集後、教団内部における教理上の解釈の対立が著しく激化してしまい、教団は進歩的立場の
「大衆部(たいしゅぶ)」と保守的立場の「上座部(じょうざぶ)」の二つに分裂してしまう事態が起こりました。これを「根本分裂」と言います。

 それから、両部においても激しく分裂を繰り返し、部派仏教時代を迎えます。その中で、特に上座部系から分かれた部派の一つである
「説一切有部(せついっさいうぶ)」が大きな勢力を持ち始めることとなりました。

 「説一切有部」は、
「三世実有(さんぜじつう)・法体恒有(ほったいごうう)」の教えを説き、あらゆる存在を緻密に科学的に分析し、そして、その上でそれぞれには構成要素としての「法」(ダンマ)があり、その「法」(ダンマ)は過去・現在・未来の三世において、常に実在しているとする考えでありました。当時、この実在論を支持する部派は数少なくありませんでした。

 しかし、次第にこの「法有」、実在論の考えについて、お釈迦様の説かれた
「諸法無我」の教えから改めて見直す機運が高まり、「法有」、実在論の部派たちを「空の論理」で激しく批判する運動が起こり始めます。

 それが「大乗仏教運動」と呼ばれるものであり、その中核となったのが
「般若思想」であります。

 「空の論理」は、原始仏典においても既にその萌芽が見られ、「ウダーナヴァルガ」には、
『「一切の形成されたものは空である」と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。』とあります。

 このことは、「一切皆空」・「諸法皆空」としても表されます。ウダーナヴァルガ中における「一切の形成されたもの」については、第二章の諸行無常における「諸行」と同様で
「認識・判断において事物・存在を実体的に形作って捉えてしまった上での意思・行為」であり、「諸法」の場合も、第二章の諸法無我における「諸法」と同意で「認識・判断して形成された存在・事物」ということであります。

 もちろん「一切皆空」・「諸法皆空」も世俗諦の扱いの教説であることには注意しておかなければなりません。それは、最終的に「空」にも「不空」にもとらわれてはいけないということであります。

 つまり、中論・「観行品」(第十三・第八偈)『もしも非空である何ものかが存在するとするならば、空である何ものか〔が存在することになるであろう〕。 〔しかし〕非空である何ものも存在しない。どうして、空であるものが存在するであろうか。』、中論・「観如来品」(第二十二・第十一偈)『「空である」と 語られるべきではない。〔そうでなければ〕、「不空である」、「両者(空且つ不空)である」、また「両者(空且つ不空)ではない」ということになるであろ う。しかし、〔これらは〕想定(仮に説く)のために説かれるにすぎない。』ということであります。

 さて、空の論理は、あらゆる実体を否定する手法であります。
「これには実体がない、あれにも実体がない」と して、否定辞が多く用いられます。それがゆえによく「何も無い」と虚無主義的に解釈されることがありますが、それは大きな誤解であり、あくまでも「実体」 が「有る」としているものについて、とらわれて、しがみついて、こだわれる、執着できるような、そんな「実体は無い」と言うことであります。

 また、後に展開されてゆく中観思想にも繋がるところですが、本来的には、あらゆる一切は、「有」だとも「無」だとも言えない、「生」だとも「滅」だとも 分けることができない、とらわれることを許さない「不二」・「平等」・「無分別」、つまり「非有非無」・「不生不滅」が般若思想の一つの要諦にもなるので あります。

 
「空」 の目指すところは、実在論の否定から完全なる「無執着」にあります。実在論者が「有る」・「無い」、「生じる」・「滅する」と、とらわれている全てのもの を否定していくわけで、それは、「有る、無い」または、「生じる、滅する」としてとらわれてしまうようなものから、「無明・煩悩」と「智慧・悟り」、「輪 廻・迷い」と「解脱・涅槃」に至るまでにも及び、更には、お釈迦様の大切な教説「苦・集・滅・道の四聖諦」でさえも、そのとらわれを離すために否定し、実 体否定の例外は一切なかったのであります。

 また、「空」については、
あらゆるものは、何かとらえられるような実体があるわけではなく、それはあたかも「幻の如く」であるとも説かれ、夢・泡・影・露・電・水月・陽炎などとして比喩表現されてもいます。その表現は、後にも詳しく述べますが、「縁起」において「仮」に言えるだけのものに過ぎないということであります。

 そして、最終的には「非有非無」でさえも、そのようにしてとらわれる実体も無いとし、「非有非無」も無いとし、更に
言葉・言語・言説において示されるものもあくまでも「仮」のものとして、その実体をあまねく否定し尽くした上で、言説・戯論を超えた「般若波羅蜜の智慧」のありようを限界まで空の論理で示していこうとしたのであります。

 
般若思想、それは「法有」から「法空」へと至らしめるために徹底的に展開された実体否定の作業であったと言えます。

 般若教典の一つである金剛般若経における代表的な表現として「Aは非Aにして、ゆえにAといわれる。」・「Aは非Aであり、それによってまさにAである。」、いわゆる
「即非の論理」がありますが、非Aというのは、実体が無いという「空」を示し、「Aというものは、Aという実体が無い、ゆえにAといわれているだけに過ぎない。」と解せますが、非常に難解な表現であります。

 また、般若心経における難解な表現として特に挙げられることが多い
「色即是空 空即是色」を考えて見ますと、この場合の「空」というのは「実体が無い」ことを示すもので、○には実体が無い、「非○」と表してみると「○即是非○ 非○即是○」として、「即非の論理」と同様のことを述べていると思えます。

 もちろん、「Aは非A、非AはA」というのは、論理学の同一律を犯しているものであり、通常、私たちが普通に考えるならば理解はできないものとなるでしょう。

 「即非の論理」は、
言 葉の世界そのものについてのとらわれ、執着を離すために、あえて世俗的な面にて空を示すために説かれたものとして、「言葉」や「名称」にその何か実体があ るわけではない、だからこそ「言葉」や「名称」で言えるのだということであり、それは、「Aは非Aにして、ゆえにAといわれる。」、つまり、Aは、Bでも Cでも何でもそれぞれ置き換えることができるということであり、その真意は、「言葉」や「名称」というのは、別に実体として固定して決まったものがあるの ではなく、世俗上、仮(仮名として)であり、あくまでも便宜的なものに過ぎないということを示したのであります。

 しかし、「色即是空 空即是色」という表現、「即非の論理」は、やはりどうしても矛盾的表現であるため、それをもって「空の論理」を理解するのはなかなか容易でなく、虚無主義的傾向に陥ることもある意味で仕方のないことであったようにも思います。

 そこで、実体の否定についての説明を「縁起」の観点から更にとらえて空の論理を展開する中観思想が登場することになったと考えられます。

 さて、ここでは般若思想について、空の論理を中心として述べさせて頂きましたが、更に大乗仏教運動の特徴としまして、修行者・教法の分類として、声聞乗(しょうもんじょう)・独覚乗(どくがくじょう)に留まることを批判しての
菩薩乗(ぼさつじょう)の登場、出家者主義から在家者主義中心への転換、自利利他・慈悲の実践、六波羅蜜の実践、諸仏・諸菩薩への信と帰依、供養・廻向の始まりなど、「般若波羅蜜の智慧」のために必要な教えが次々に展開されていきます。

 第七章「仏教の実践」において、自利利他・慈悲の実践、六波羅蜜の実践については詳しく述べております。その他につきましては、紙面の都合上、詳しく触れませんが、是非、それぞれについても各自で学びを進めて頂ければと存じます。



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 章


 一、はじめに
 
 二、仏教・基本法理の理解

 三、般若思想の理解

 四、般若心経の理解

 五、中観思想の理解

 六、唯識思想の理解

 七、仏教の実践

 八、縁起・空の理解からの実践

 九、仏教的生き方

 十、最後に

 参考・参照文献一覧


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